関東大震災 韓国・朝鮮人殉難者追悼の歩み(年表)
1975年頃~:絹田幸恵、荒川放水路開削工事の聞き書き。お年寄りから旧四ツ木橋での朝鮮人虐殺事件を聞く。
1982年7月:「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会」準備会結成。9月初めての追悼式・試掘。12月「発掘する会」発足。聞き書きを始める(~85年頃までに集中。証言者のべ150名)
1983年:60周年追悼式。第1次韓国訪問調査。
1984年:追悼式に地元の住職・僧侶4名にご協力頂く。
1985年:第2次韓国訪問調査(以後1989年まで続く)。
1988年:追悼碑建立の提起がされる。
1989年:河川敷にホウセンカの種まきを始める。
1991年:追悼式に地元の牧師3名にもご協力いただく。
追悼碑建立の趣意書発表。建設省に建立の相談開始。
追悼碑基金発足。
1992年:墨田区への追悼碑建立の相談開始。『風よ鳳仙花の歌をはこべ』発刊。会名を『追悼』に変更。
1993年:「グループほうせんか」社会教育団体として発足。
70周年追悼式。「すみだ国際交流ネットワーク会議」に参加。
1994年:グループほうせんか『渡り川』上映会に墨田区・墨田区教育委員会の後援をいただく。
1997年:再度、建設省・墨田区への相談開始。
1999年:追悼碑建立の要望書、墨田区・墨田区議会へ提出。
2000年:朝鮮人殉難者追悼事業に関する陳情提出。
2001年:残念ながら陳情不採択。河川敷にむくげ植樹。
2002年:追悼碑建立用地取得に向け、相談開始。
2005年:墨田区に「追悼のむくげ植樹」相談開始。
2006年:国土交通省との話し合いの結果、河川敷のむくげを2010年までに撤去することを余儀なくされる。
2007年:墨田区より、河川敷緑地へのむくげ植樹は、国の基準に照らし要望に添えないと回答が出る。
放水路土手近くの私有地を取得。追悼碑建立に向けて具体的計画を立てる。 毎年すみだまつりでホウセンカの種を配布
2008年2月:絹田幸恵死去。享年77歳。
2009年4月:チャリティコンサート「ほうせんかの夕べ」開催。約600人参加。9月、追悼碑完成。